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暇な美容師の奇行

貧しいのはどっちだ

こんにちはKOH(@luck81O)です

 

毎月大阪にヘアカット出張をしていまして、先日も行ってまいりました。

もともと大阪か地元と言うわけでもなく、顧客もゼロからスタートなこともあり、まだまだ1日が予約で埋まるほどの日はありません。

そして今回、いつものように空き時間に大阪市内を観光をしていたのです。そんな最中で感じたことがありブログに書こうと思いました。

 

2017年、例年より遅い桜の開花を迎え、春の訪れを感じさせるそんな日。

観光名所の道頓堀周辺はいつものように人で溢れていました。 

 

 

目に止まった一人のホームレス

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グリコの看板でお馴染み、道頓堀川にかかる戎橋。

そんな橋の隅に、一人の男性が座っていました。

 

その男性は掲げたダンボールにマジックペンでこう記していたのです。

「明日の朝ごはんが食べれません。どうかお助け下さい。」

 

そんな一文が目に止まったぼく。多少なりとも海外で同じように物乞いをした経験があるので、当たり前以上の条件反射で¥500を男声の前に設置された空き缶に投げ入れました。

 

しかし、硬貨を投げ入れるその時、缶の中には一円玉がたった一つ入っているだけでした。

 

一円とは一体...

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1円で何が買えますか?朝ごはんが食べれますか?

もちろん、1円の積み重なりで大きな金額にもなりうるでしょう。しかし、1円の積みかさなりで明日の朝ごはんが食べれますか?

僕の感覚では1円を投入した人が疑問でしょうがないのです。

 

財布の中に他にも硬貨や紙幣が入っていたであろうに、その中から1円を手にしたその時、何を思って1円にしたのでしょう。

「やらない善よりやる善」とも言いますが、これには理解に苦しみます。

 

1円を投入した人が生活の中で月に¥1000くらいは無駄金を浪費している姿すら想像できます。

もちろん、その投げ銭した人が経済的な事情で¥1が限界だった可能性だって捨て切れません。だったら銭を投げない方がいいと思うのです。

 

1日20万人が通行する場所で男性の前に置かれた缶にそれしかお金が入ってないことすら疑問ですが、1円の衝撃もまた多大なるものでした。

 

明日の食事のめどがつかないことの恐怖感を人々は知らなすぎるのではないでしょうか。

カースト層の下層部は上からしか見えないはずなのに。もう、どこからも見えないのでしょうか。

 

声を大にして言いたい「お金を落とす場所を考えよう」

「お金を落とす場所を考えよう」これは本当に日々モヤモヤしていて、他人に強要したいレベルのこと。

 

例えば僕の知り合いが新宿で焼き鳥屋を営んでいたとしましょう。

その知り合いは人生を賭けて本気で焼き鳥屋を成功させようとしています。

 

そんな中、新宿で飲み屋を探している時、焼き鳥屋チェーン店にいくような人は来世も友達になれないかも知れません。

知り合いの店が一本¥120でチェーン店が一本¥80。

どっちに行きますか?考えるまでもなく僕は知り合いの店にいきます。

 

僕としては、汗水流して稼いだ貴重なお金をなるべく大事に使いたいものです。知らないお店に使うくらいなら知り合いのお店に使いたいくらいです。もちろん、応援したくなるような商売をしている知人であることは前提ですが、僕の周りは幸いにも皆、夢と誇りをもって商売をしています。

 

どうでもいい飲み屋ではケチケチと値段を気にしますが、知り合いの店に飲みに行ったらアホみたいに飲みます。

 

その辺の自販機で飲まなくてもいいコーヒーに硬貨を投ずるくらいの経済力があるのなら、明日の朝食がままならない人の懐に投じてみてはどうでしょう。

 

そっちの方が、自分が、世界が豊かになると思いませんか。

 

明日の朝食に困る人、それを横目にスルーする人、貧しいのはどちらでしょう。

『貧しさ』とは金銭だけではなく心の問題でもあります。

 

春を迎えた大阪の地でふとした瞬間に思ったことを書き出してみました。

ぼくの言ってること、間違ってますかね?